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奈良県宗教人の会

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いま憲法9条を宗教者はー互いを認める世界にー日本基督教団・札幌北光教会牧師

 学生時代に教会のキャンプワークでネパールの農村でボランティアに取り組みました。ネパールの無医村で医寮・公衆衛生の振興に尽力したキリスト者で医師の岩村昇の活動が私たちの取り組みのさきがけでした。
 
 やがて農作業を通じて親しくなった村の老人が、私に対し直立不動で敬礼してみせ、「バカヤロー」と叫びました。それが彼の知っている′「日本
人」だったのです。

 私の中にあった〝先進国の学生が貧しいアジアを助ける″というごう慢な気分が吹き飛びました。アジアの人びとの間で戦争は決して過去のことではなく、日本がアジアに対して負う責任は「貧しいアジアを助ける」というようなものではないー。日本の侵略戦争によって二千万以上といわれるアジアの人びとが死に、深い悲しみをもたらしたことへの謝罪であり、アジアの一員として生きていくには「再び戦争を起こさない」という九条の約束を堅持していくことだと痛感しました。

 岩村医師から、重体の老婆を背負い三日かけて病院まで運んでくれたネバトルの若者の話を聞いたことがありました。若者は「『サンガイ・ジュネ・コラギ』(みんなで生きるために)若い力を持つ自分が力を提供するのは当然だ」と言って、お礼を受け取らなかったといいます。私自身、同じような経験をネパールで何度もしました。
 
 本当に助け合う社会の豊かさー。この経験は「自分を愛するように隣人を愛せ」というイエス・キリストの教えにつながるもので
す。

 平和とは、単に戦争がないことではなく、対立しあうものが共に生きていく姿だという預言者の言葉があります。イラク.戦争に際し、〝異なる文明の衝突″が喧伝(けんでん)されましたが、人びとが互いに認め合い、尊重しあう世界こそ目指されるべきです。ここには憲法九条が示す世界観があります。

 同時に、「生きてきて良かった」といえる世界が未来にあること、すなわち
「希望」を語ることに宗教者の大切な役割があると感じています。それは、強い者や金持ちだけが勝ち残るのでなく、人びとが共に生きられる世界を目指すことです。

 幼稚園の運営に携わり、子どもの権利を守る運動にも参加しています。年々子どもが生きる環境が厳しくなっています。子どもが子どもらしく希望を持ち、平和に生きられる社会、戦争にとられることのない社会を、という願いが九条への思いにつながっています。

 子どもの生きる力は、自分が受け入れられ、自分が自分らしく「そのままでいいんだ」と思えることから生まれます。真剣にかかわってくれるおとなの存在が大切です。同時に、九条を守る真剣なおとなの姿が、子どもたちの希望につながると債じています。

 ブッシュ大統領の支持基盤となった米国キリスト教右派の闇でも〝同性愛の禁止″などより「環境問題」に関心が高まっているといいます。閉塞(へいそく)の中で、従来の枠を超えた対話のチャンスは広がっています。互いを尊重し、持てるものを出し合うという価値観と、九条が目指すビジョンがもっとかみあっていけば、より多くの人と九条の価値を共有できると確信します。

日本基督教団・札幌北光教会牧師
・後宮敬爾さん
 うしろく よしや1956年京都府生まれ。同志社大学大学院修士課程(神学)修了。土佐教会牧師、千歳栄光教会牧師を経て2002年から現職。北光幼稚園園長。著書に『キリストにある生』(日本キリ
スト教団出版局)

「しんぶん赤旗」1/14付
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by n-syukyojin | 2008-01-17 13:36
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